大分の磐座


胎蔵寺たいぞうじ
大分県豊後高田市平野字熊野


■六郷満山にあるわが国最大級の熊野磨崖仏

 磨崖仏がある今熊野山胎蔵寺は、国東半島の付 け根のようなところに位置する。かつての「六 郷」の一つ、田染郷とよばれたところだ。六郷と は、『和名抄』による国崎郡の六つの郷のことで、 この六郷にある寺院群を総称して六郷山とよび、 そこで学問や修行をする僧侶を含めて、「山いっ ぱい」という意の満山とよんだ。ただ、六郷にあ る寺すべてを六郷山とよぶわけではなかったらし い。本来は、仁聞菩薩が開基したとされる寺だけ を六郷山というのだという。胎蔵寺は天台宗で、 山号は今熊野山、718(養老二)年、仁聞菩薩 の開基と伝わる。
(『磐座百選』より一部抜粋)





佐田京石さたのきょういし
大分県宇佐市安心院町佐田


■九柱の立石を結界とした神の降臨する空間

 宇佐神宮近く、安心院に、佐田の京石とよばれ る不思議な立石が林立している。初めて京石の写 真を見たとき、能登で発掘された環状木柱列の真脇遺跡を 思いうかべ、立石で結界された磐境では ないかという印象をもった。
 京石の存在を知ったのは、講談社刊『神と仏の 庭』に載る写真だった。自然石の先端部分が丸み をおび、とがっている円柱が、空に向かって屹立 しているさまは、まるでなにかを「叫んでいる」 かのようだった。日本庭園の石組の源流として紹 介されていたが、「神の庭」としての光景がそこ にあった。自然のものではなく、あきらかに「ひ と」がつくりあげた石の造形であり、『作庭記』 にある「石をたてん事」に通じる石組と思えた。
 雨上がりに撮影されたものらしく、濡れそぼつ モノクロのような立石が、靄にとけこみ、神寂ていた。 「自然石への宗教的関心は、作庭材料の 契機となった」とあるが、どのような想いで、い や祈りでこのような造形をつくりあげたのか。不 思議というほかない。
(『磐座百選』より一部抜粋)




元に戻る

copyright©2017:未来へのメッセージ舎;all rights reserved.